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息子を産んで、363日経ちました
すくすく育って、昨日は立派な二足歩行を初めて披露してくれました。
コロナの影響で保育園への登園は先送りになっており、仕事の復帰もまた先送り。
私の日々は前進せず、息子との二人っきりの日常になっています。
心のどこかで、息子が保育園へ行き始めたら、私はまた自由に絵を描き仕事をして、趣味も改めて再開できると、ずっと楽しみにしていました。
この1年間は、本当に、不自由な生活でした。
本当に本当に、全てのお母さんたちは、すごい精神力と胆力を持ってして、子育てをしているんだなと思い知らされました。
春の4月に生まれ、生後1か月を過ぎなければ外も出てはいけなくて、晴れも束の間、すぐに6月になり雨ばかり。脱水症状で40度の発熱。7月から夏の気温に当たってしまい手足口病になり、猛暑の8,9月もうかうか外には出られずRSウイルスにかかり。10月もなんだか暑い日が続き風邪に悩まされ、11月になればそろそろインフルエンザが流行出し。12〜2月も引き続きインフルエンザを警戒して、3月はすでに広がっていた新型コロナウイルスを警戒して自宅に引きこもり。
結局ずっと息子と二人きり。
頭がおかしくなりそうでした。
毎日が心配でした。
でも、まだ、絵を描けたから、大丈夫。
友人たちがいたから大丈夫。
なんのことはなし、明後日息子は1歳になります。
嬉しい嬉しい、1歳。
ちゃんと前進していたんだなぁと、母子手帳の成長曲線を見て気づきました。
3100gで生まれた息子が10400gに。
52cmで生まれた息子が77cmに。
363日、お疲れ様でした。わたし。
これからあと何年、彼のことで悩み、心配して夜を過ごすのだろう。
なるべく楽しめる心の広さを習得したいです。
育児のために仕事を休み、家を買おうとするもやはり希望通りの家にはなかなか出会えず、子どものイベントが1つ1つ消化され、少し間の空いた時間ができてきた。
ぽっ、と、妊娠発覚時にやめたタバコが出てきた。カートン買いしていたタバコは丸ごとヘビースモーカーの父にあげたはずだったのだが、1つだけ、フリーザーパックに入っていたものが出てきた。大人のタイムカプセルだ。どう言うつもりでこれをこうしておいたのか思い出せないよ、ねえ10ヶ月前の私。
これまたなぜか残してあったライターを持ってベランダに出た。箱から引き抜いた1本だけ吸ってみる。それは何ともまぁ不味くて。苦くて重苦しく、とても吸えたもんじゃなかった。
わたし、もうタバコも吸えないんだなぁ。と、しみじみ思った。お酒も禁酒したら本当に弱くなってしまったし、息抜きといえば料理をするくらい。
なんだか更に腑抜けた存在になってしまったように感じた。
育児は順調。わたしたちの子どもは思いのほかすくすくと育ち、最近はもっぱら自分の両手への興味とお喋りが得意になってきた。夜もたくさん眠るし、毎朝起きて「おはよう、」と声をかけた時の笑顔がとてもかわいい。
そんな彼を育てるための家を購入し、夏の間に引っ越して、秋には保育園探しを始めるスケジュールだった。週に1日だけ働いて、それ以外は夜、展覧会用の絵を描く。そんなスケジュールだったはずなんだ。
それが何一つ成就されていないこの現状に辟易してきた。
これからどうなるんだろう。何でもいいから、引っ越ししたい。気分を変えたい。
わたしは今、さよならするはずだったこの部屋の天井を見上げ、空を睨んでいる。
授乳と言っても完ミだから、ミルクなんだけど。
飲み干した後の満足そうな顔たまらんな…
今日でやっと100日。
夜が明けたら、お食い初めパーティだ〜!
夜中の授乳、19時に寝て、まだ2時から3時あたりに1回はあるんだけど、
前からしたらぐっと回数減って、とても楽になりました。
この、160mlのミルクを一気に飲み終えて、ポカーンと開けた口のかわいいこと…
そのまま泣きもせずに寝ちゃう。
どうやら睡眠欲の強い子みたいだな〜
母は楽です。
100日のお祝いの前に、生まれた時の動画とか、
退院したその日に撮った、まだゆっくりと動く生き物の状態の動画とか見てた。
新生児ってこんなに小さいんだなぁ。
まだ5回夜が来て、5回お天道様を見ただけの生き物のか弱さよ…
動画ってこの時の匂いとか感触とかまで思い出せるから、良いなぁと思う。
ほんと、この新生児の時も、ミルク飲み終えたらポカーンと口開けてそのまま寝る子だったなぁ。
この時に比べたらだいぶしっかり飲めるし、なんと言っても動くんだけど。
成長したんだな〜
100日って早いなぁ。
また寝て、起きたら甥っ子たちを招いてのパーティだ!
楽しみだな〜
なんとなく、実の父と母に、妊娠を報告した日を思い出してしまった。
ずっと体調が悪く、「まさかな」と思った。
けど、「もしかしたら」も有るな、と思って、
9/24に妊娠検査薬をやって見たら、陽性で。
まさか。と思ってもう一度やってみたら、やっぱり陽性で。
主人に報告して、二人で困惑しながら微妙に喜んだのを覚えてる。
9/26に病院行って、もうすでに11週目で、お腹の中にいるという赤ちゃんは、知らない間に4.8cm
区に母子手帳もらいに行っても良いですよって言われて、
分からないながら、「
まだ安定期じゃ無いけど、
9/27、病院に行った次の日、出勤すると、
「妊娠しました」と、報告を受けた。
「ちょっとまって、わたしも!」
という、私のびっくりした声がした。
主力として働いていた二人の同時妊娠。週数は違えど、
本当に他のスタッフには申し訳ない事をした。
そして週末。夏の里帰りをしていなかった私は、9月に実家に帰る予定をもともと組
9/29、茨城へ帰る前に、
そしてその足で、エコー写真を携えて実家に帰った。
もう夕暮れで、1泊して次の日の夕方に東京に帰る予定でいた。
夕飯をみんなで食べ、お茶の間で団欒をしていたとき。
「お父さんに誕生日プレゼントがあります」と言って、エコー写真を、
こたつ布団の掛かっていない居間の掘りごたつの天板の上に滑らせた。
みんなが「えっ」と言いつつ、白黒の小さな写真を覗きこんだのを覚えている。
結婚してから3年、ずっと妙な圧力を感じていた。その圧力の張本人の毋は、
思ったよりも冷静にそのエコー写真を眺めていた。
そして、「1ヶ月くらい前に、Sちゃん(妹)と、お姉ちゃん妊娠したのかなって話してたの」と
言われた。
何の直感だ。
わたしは時どき母の妙な直感が怖いときがある。
何れにしても、初孫だ。とても喜んでくれていたと思う。
わたしはというと、妊娠について、やっと身内の人に祝われて、子どもができた事を実感した。
東京で一人で産むのは怖いので、里帰りしてもいいか聞いたら、二つ返事で「いいよ」と帰ってきて安心した。
何にせよ、経験者=甘えられる人がいて、なおかつ実家で、田舎で家がとんでもなく広くて、
赤ちゃんが泣いても誰にも迷惑かけない環境で出産できるかも、というのが分かって、とても心強かった。
これでいよいよ、妊娠期が始まった気がした。
それから7ヶ月後、あんなに大変な出産と新生児期を過ごすことになるとは、思いもしなかったんだけれど。
(初めて病院に行った時に撮って貰ったエコー。すでに人の形をしていた)
JUGEMテーマ:育児
めちゃくちゃ久しぶりのブログなんですが、平成31年4月20日にベビニカを産みました。
みなさまどうぞよろしくお願いします。
惜しくも令和にはならず。
とにかく、人生の一大イベントをクリアした気分です。
ここからが戦いなんだと思っています。
か細い手にこもる、ささやかな力を温もりを感じつつ、進んでまいります。
どうぞお見守りください。
JUGEMテーマ:育児
本当に1年ぶりにブログ。
なんてこった。
1年間、色々ありました。
大体旅行行ってました。
仕事もしてました。
個展もあったし。
展覧会もたくさんありました。
でも2016年よりもだいぶセーブした内容でした。
その間に、色んな展覧会を見ました。
歴史的美術から、新進気鋭の作家まで。
代弁者が居る展覧会のなんて素晴らしきこと。
そこにあるのは、「絵」と、「言葉」と、「体感する人」でした。
いままで、言葉や文字では表現せずに、絵だけ展示していました。
厳密には、ストーリーは書いていたものの、展示せず、自由に楽しんでもらおうとしていました。
でも、最近、文字も表現の一部に組み込んでいいんじゃないかと思えたのです。
そこで、今まで書いていた文字のように、ストーリーを書いて、一つの物語として、展示します。
いつもより規模の小さい個展だけれど、だからこそ出来る展覧会もあると思うので、是非お越し下さい。
【個展告知】
ベロニカ都登個展
「曐罪」
2018.1.16.tue-1.21.sun
11:00-20:00 最終日は18:00まで
@アートコンプレックスセンター
ここ最近ずーっとテレビを観て無かったけれど、久々にテレビをつけてニュースを見たら、自殺や事故、殺人のニュースばっかりでびっくりした。
仕事や夢や日常や家庭に追われ続けて、そしてとても今不安定な日常が続いてしまっていて、「死」のニュースが急に近くに来た気がした。
不満や不安が積もる感覚が、テレビから流れる「死」に共鳴し始める。
Twitterでもたくさんツイートを見かけていたけど、みんな、電通の元社員の女性の死が一番近くにいて、共感を多く呼んでしまっているんじゃないだろうか。
今まで死は赦されなかったけれど、少しだけ、赦されてしまいそうな気持ちになる感覚。
一時のものなのだろうけれど、不幸を嘆く力がまだあるので、私はテレビを見ずに過ごしたいと思う。
今は生きるのが面倒くさいと思う季節なだけだ。
来年は、ぐっと大人向け。
アダルトな意味ではなく、コンセプチュアルなものに挑戦したいと思います。
展示の意味、作品の意味、作家の意味。
それらを言葉にすること。
それは、体感できる範囲の限定・制約にしかならないと思っていたけれど。
誰か、何かを好きになったとして、もっと掘り下げて好きになってみようと思った瞬間、掘り下げる土が無かったとしたら、その土に生えていた”好きになったもの”は、フェイクかもしれない。
私はそんなのは嫌なので、今まで言葉にしてこなかったものを、ヒントや娯楽として、文字にしてみようと思いました。
準備期間はいつもどおり全くないし、筆も遅くなってきているけれど、出来る限りやりたいことをやります。
さて、どんなことになるのか〜
ブログに思想を書くのがやっぱり一番考えがまとまるのだけど、まだネタばらしは先の先。
色々と、本当に色々とありましたので、今整理しています。
細かく書くつもりはないですが、ハッピーなことから、アンラッキーなことまで、日々が風で舞い上がるティッシュのように物質的に流動的で軽やかに過ぎていきました。
モノはそこにあるのに、見えない何かに突き動かされて、抗えない感じ。
さて、絵について。
ここ最近、原点回帰作業を怠っていたせいで、どうにも能の中がバカになった気がします。
長文を考えられない。
というか、年齢を重ねるにつけて、長文の読解能力が落ちている気がする。
意識が散漫になってるのね。
おっぱいを描いてみたり、タコを描いてみたり。
思慮の浅さを感じてしまう。
描いたものは、私に単純な疑問を投げかけてくる。
昔のように、思いつきで描いてしまっている。
悪いことではないけれど、浅はかというか、「そういう事をやって良い年齢ではないだろう。」と、幻聴がなんとなく過ぎってしまう。
この問題は、今後に関わると、少しだけ危惧し始めたところです。
テーマ的に、いつも「飼育」や「装飾」や、「接触」や「対比」、「成長」などなど、個人的に気になったモノを具現化してきたけれど、どれも60%くらい。
ずっと60%くらい。
ここ最近は、ずっと。
それをリライトしないと、今後に関わる。というか、成長できない。
私は成長したい。もっと、私の中にある、御子たちを、自由に美しく具現化したい。
この気持ちは作家として、とても大事だとおもう。
今年の1月の個展、5月の個展は、自分にとってとても良い展示になったと思う。
そこから半年経った今、見返してみると、やっぱり、今の理想とは違うものになっていて、半年間の間のわずかな成長が、過去のものとして私の個展を眺めている。
ここで出来た”差”をリペアするために、次の個展に向けて、テーマとモチベーションを練り直さないといけないと感じています。
8月からは大阪での二人展。10月にはUTOPIA HUGE。
そして来年1月には個展です。
このセクションで、どう内面を挽回できるかが課題だな〜と思っているところ。
がんばりま〜す